■2010・10・07
本丸土台作成が続いてます。カラーパウダーの敷き詰め作業中です。
画像では大きさが判りづらいので、色々なものと大きさを比較して
みました。
画像1:童友社1/350江戸城DX
画像2:明石プラモ甲子園出品作・播磨明石城
比較して頂くと大きさが判るかと思います。土台のカラーパウダーの
固定がしっかり終ってから大奥を始めとして本丸の建物を作り始める
つもりです。
こんなお城が欲しかった。日本全国約5000城の製作が可能です。
■2010・10・07
本丸土台作成が続いてます。カラーパウダーの敷き詰め作業中です。
画像では大きさが判りづらいので、色々なものと大きさを比較して
みました。
画像1:童友社1/350江戸城DX
画像2:明石プラモ甲子園出品作・播磨明石城
比較して頂くと大きさが判るかと思います。土台のカラーパウダーの
固定がしっかり終ってから大奥を始めとして本丸の建物を作り始める
つもりです。
■2010・10・02
江戸城本丸全景(大奥・表御殿)と二の丸・西の丸一部を作る為の、
一番最初の土台作りとなります。本来ならば紙粘土を多用するのですが
大きさがヨコ900mmあるので、紙粘土で全て土台を作ると土台が
割れたり、剥がれる危険性があり、また大きさがあるので保管上の問題で
置けるスペースの問題もあり、立てかけて保管することより、ほとんどを
発泡スチロールにて土台を作ることにしました。発泡スチロールで作ると
重量も軽くできるので立てかけの際にも利点があるのです。
本から天守と大奥を含む本丸御殿の比率を計ったところ、天守の高さの
約7倍の長さがあり、それをベースに本丸を作ることにしました。
まず土台になるコルクボード版に発泡スチロールを張りつけて、お城の
本で重しにしてボンドで一晩、接着固定をしました。 一晩寝かせて
固定した発泡スチロールの上に本丸の部分になる発泡スチロールを
更に固定していきます。 実際にはまだまだ低く、石垣の高さが確保
できるように、この上にあと二重、三重と重ねていく予定です。
2枚目・3枚目の画像に発泡スチロールの上にちょこっと小さいのが
乗っているのが、JOYJOYの江戸城の完成キットです。
いかに大きいか雰囲気が判るでしょうか?
江戸城の土台としての発泡スチロールを三重にした。三重にすることで
本丸の石段の高さがある程度、確保できたかと思います。
また他のお城の余った部品で大奥を組み立てる際に、使えそうな部品が
無いか探してみた。鶴ヶ城の渡櫓と櫓門の部品が建物に使えそうなので
試しに組立てみました。
■2010・10・5
土台用の発泡スチロールが固定できたので、おおまかに
カラーパウダーを敷き詰めた。今までは土台を完全に作り
その大きさに合わせて建物を作っていったのだが、今回は
土台はおおまかに作っていき、建物をしっかりと作ってから
土台を合わせていくことにしたからです。
それにより大奥・中奥・表御殿がしっかりと作れるし、
本丸がきちんと納まれば、それに合わせて二の丸や西の丸、
三の丸が作れる範囲で作れば良いと思っているからです。
ヨコ900mm、タテ600mmのサイズなのでゆとりある
作りが出来る。ただし大きさゆえに紙粘土を多用すると
重たくなってしまい、立てかけて保管するには難しくなるので
発泡スチロールを多用することになり、カラーパウダーを
多用しないと発泡スチロールの模様がはっきり判ってしまうので
カラーパウダーを敷き詰めて、模様を消して建物を取り付けて
いくことにした。
天守の位置を決めないと大奥の製作が出来ないので、天守を固定した。
あとイメージを見る為に、建物などを乗せてみました。
■2010/08/08
二重橋・富士見櫓・大手門・平川門・北の丸・半蔵門・桜田門などを作りたいと
思い、コルクポード900×600mmのサイズで江戸城を復元しようと
思っています。
まずこのサイズになると実際に縄を張り、中心を出して参考にするパンフレットの
中心をセットして延長線で縄張りを書き写しします。ピッタリにはならないけど
雰囲気的には参考になり、バランスで土台の位置が決まります。
その上に発泡スチロールを貼り付けていき土台としてます。
城モデラーさんより関東支部長の任を受けましたが、関東の城って意外と
作りにくく、現在別に水戸城を作っているものの、他に何か作ろうか
考えていたのですが、やはりこれしかないと思い作り始めました。
皇居外苑のパンフレットを参考に基本的な縄張りをカットしていき、
接着剤が乾いた時点で徳川の江戸城の縄張りに変更していく。
特に吹上、西の丸、本丸の西の丸側の俗に言う皇居側の掘りの縄張りが
結構違うし、また二の丸・三の丸の中の掘りも現在のと少し違うようで
面白い・・・・良く知っている地元のお城なのに、意外と知らないところが
多く、やはり作ってみないと調べないものだと痛感した。
慶長8年(1613年?)だったと思うが慶長年間の江戸城の縄張り図を
参考に縄張りを作ってみました。日比谷入江を埋め立てて、ある程度
内堀の形が出来上がった頃です。まだ外堀までは完成してない時代、
結構複雑な縄張りですが・・・・また本丸と西の丸と吹上の真ん中
辺りに位置する紅葉山も小さいながら作ってみました。
ただこの時代は二の丸や三の丸には御殿がまだ建っていなかったようだし、
北の丸には蔵や武家屋敷があり、雰囲気も違っています。
家康から秀忠、家光と作り続けて江戸城のだいたいの概要が固まるまで
約40年、家康が江戸に入ってから約50年かかって作った城なので
幕末の江戸城ならは形は固定しているものの、天守は無くなっているし
・・・どこの時代にするかで結構雰囲気が変わるものです。
史実に忠実かと言うと若干の疑問もでてしまうのですが、あくまでも
雰囲気重視でやっています(^^;
・・・・・この後、2ヶ月間製作が中断してしまいました。
■2010・10・01
江戸城内堀以内を作る計画で土台が出来ていたものの、イメージが
沸かなくずっと中止していたが、計画の練り直しを行うことにした。
土台に合う感じの縮尺サイズに合う城が無く、どうしてもキットを
利用するとなると土台が小さい。また以前作った江戸城大奥が
バルサで作ったものの本人的にあまり気に入っていないこともあり、
この際に両方を壊して、新しい大奥を含めて作り直すことにした。
利用できるJOYJOYの江戸城天守をそのまま使い、それにあった
大きさで本丸御殿を作っていき、大きさではそれでも余るスペースが
出来るので余った部分で出来る範囲の江戸城を再現していこうと思う。
使うコルクボードは横900mmほどあるので本丸・二の丸は出来ると
思うし、三の丸や西の丸、吹上の一部は作れそうである。またバルサでは
なく、大奥は全てプラモデルの他のキットを流用してなるべく細かく
再現してみたいとは思っている。
ただいつ出来るかが一番の問題(笑)
フジミの江戸城の完成購入品のリメイクです。この完成品は未塗装の上、
瞬間接着剤で完全に固定されていて解体ができない状態のものでした。
完成品のリメイクは意外とやり難いので、何を作ろうかと考えたのですが
童友社の江戸城とフジミの江戸城とを比較してみると、高さがフジミの
ほうが高いので大きめの天守を考えました。また童友社もフジミも天守の
形は江戸城3代目の天守にあたる家光が作った寛永年間の天守になってます。
ミドリの屋根に黒塗りの銅板張りのされている天守です。
そこで解体できない完成購入品のこのフジミの江戸城を今回は2代将軍
秀忠が作った2代目の元和年間の天守に改造することにしました。
3代目の寛永年間の天守と2代目の元和年間の天守を比べると、2代目の
天守は四重目が千鳥破風になっている。外壁は漆喰塗装となっている。
これは2代目の天守を解体して3代目の天守を作り変えたのだが、変更したのが
四重目の千鳥破風を唐破風の出窓に変更したのと、外壁を漆喰から銅板張りに
変更したぐらいなのです。漆喰だと高層の天守に強い風があたり10年ぐらいしか
持たないことが判り、風対策として2代目を解体して3代目に作り変えたと
参考にした本に解説がありました。
この完成購入品の四重目と三重目の屋根を改造して2代目の天守を作っています。
江戸城は3回天守を作っていてそれぞれは画像のCGなのですが
家康が作った1代目の天守を2代将軍秀忠が作り変えた理由は
本丸などの拡張を行い、拡張した結果、初代天守の位置が邪魔に
なっての移動の為に作り変えたとされてます。その2代目天守は
漆喰の外壁だったので、耐久性に問題が出てしまい、2代目の
天守の場所に家光が解体して銅板張りの外壁にして作り直したのが
3代目天守となります。
また徳川大阪城の天守と比較してみるとほとんど形が似ているのも
面白いと思っています。2代将軍の時に大阪と江戸で同時に同じ
ような感じの天守が作られていたのも興味が沸きます。
江戸城の塗り直しを行いました。
色々なお城の本から探してみました。
◆上から順番に
■江戸城の代表的な縄張り図です。
■慶長13年(1608)慶長江戸城絵図
■慶長13年(1608)慶長江戸城絵図(西の丸拡大)
■慶長13年(1608)慶長江戸城絵図(本丸・北の丸拡大)
■慶長13年(1608)慶長江戸城絵図(二の丸・三の丸拡大)
■家康江戸入り時代の絵図(日比谷入江)
慶長江戸城絵図には吹上と西の丸の間にある上道灌堀・下道灌堀の他に
西の丸側にもう一本の堀があります。(西の丸拡大)
また本丸と北の丸のところにも一番上の縄張り図には無い堀があり、
更に二の丸・三の丸部分も堀の形が違います。
一番下の日比谷入り江の地図から慶長江戸城絵図と変わっていくのですが、
一番上の縄張り図になる前に堀を埋めたのか?は判りませんが慶長絵図に
書いてあった堀が縄張り図には無くなっている。代表的な江戸城の縄張りで
作ろうかとも思ったのですが、天守があった時代となるとやはり慶長絵図が
一番近いと思い、代表的な縄張りではなく慶長絵図の縄張りで作ることにしました。
つまらないようですが、結構こう言うのって気になるところなのでご紹介
してしまいました。でも代表的な縄張りに慣れているせいか、違和感はあるのは
事実なんです。
慶長8年(1613年?)だったと思うが慶長年間の江戸城の縄張り図を
参考に縄張りを作ってみました。日比谷入江を埋め立てて、ある程度
内堀の形が出来上がった頃です。まだ外堀までは完成してない時代、
結構複雑な縄張りですが・・・・また本丸と西の丸と吹上の真ん中
辺りに位置する紅葉山も小さいながら作ってみました。
ただこの時代は二の丸や三の丸には御殿がまだ建っていなかったようだし、
北の丸には蔵や武家屋敷があり、雰囲気も違っています。
家康から秀忠、家光と作り続けて江戸城のだいたいの概要が固まるまで
約40年、家康が江戸に入ってから約50年かかって作った城なので
幕末の江戸城ならは形は固定しているものの、天守は無くなっているし
・・・どこの時代にするかで結構雰囲気が変わるものです。
史実に忠実かと言うと若干の疑問もでてしまうのですが、あくまでも
雰囲気重視でやっています(^^;
一番上の写真でコルクポート゜の端にあるのは江戸城DXのキットです。
比較頂けると大きさが判るかと思います。
二重橋・富士見櫓・大手門・平川門・北の丸・半蔵門・桜田門などを作りたいと
思い、コルクポード900×600mmのサイズで江戸城を復元しようと
思っています。
まずこのサイズになると実際に縄を張り、中心を出して参考にするパンフレットの
中心をセットして延長線で縄張りを書き写しします。ピッタリにはならないけど
雰囲気的には参考になり、バランスで土台の位置が決まります。
その上に発泡スチロールを貼り付けていき土台としてます。
城モデラーさんより関東支部長の任を受けましたが、関東の城って意外と
作りにくく、現在別に水戸城を作っているものの、他に何か作ろうか
考えていたのですが、やはりこれしかないと思い作り始めました。
◆次回配信の予告ですが・・画像は次配信時にご覧下さい。
皇居外苑のパンフレットを参考に基本的な縄張りをカットしていき、
接着剤が乾いた時点で徳川の江戸城の縄張りに変更していく。
特に吹上、西の丸、本丸の西の丸側の俗に言う皇居側の掘りの縄張りが
結構違うし、また二の丸・三の丸の中の掘りも現在のと少し違うようで
面白い・・・・良く知っている地元のお城なのに、意外と知らないところが
多く、やはり作ってみないと調べないものだと痛感した。
ジオラマ風に一部撮影してみました。
大奥の一部を再現したつもりです。
カラーパウダーで仕上げを行いました。