江戸城を復元する  003 慶長年間の縄張りを参照に

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色々なお城の本から探してみました。

◆上から順番に
■江戸城の代表的な縄張り図です。
■慶長13年(1608)慶長江戸城絵図
■慶長13年(1608)慶長江戸城絵図(西の丸拡大)
■慶長13年(1608)慶長江戸城絵図(本丸・北の丸拡大)
■慶長13年(1608)慶長江戸城絵図(二の丸・三の丸拡大)
■家康江戸入り時代の絵図(日比谷入江)

慶長江戸城絵図には吹上と西の丸の間にある上道灌堀・下道灌堀の他に
西の丸側にもう一本の堀があります。(西の丸拡大)

また本丸と北の丸のところにも一番上の縄張り図には無い堀があり、
更に二の丸・三の丸部分も堀の形が違います。

一番下の日比谷入り江の地図から慶長江戸城絵図と変わっていくのですが、
一番上の縄張り図になる前に堀を埋めたのか?は判りませんが慶長絵図に
書いてあった堀が縄張り図には無くなっている。代表的な江戸城の縄張りで
作ろうかとも思ったのですが、天守があった時代となるとやはり慶長絵図が
一番近いと思い、代表的な縄張りではなく慶長絵図の縄張りで作ることにしました。

つまらないようですが、結構こう言うのって気になるところなのでご紹介
してしまいました。でも代表的な縄張りに慣れているせいか、違和感はあるのは
事実なんです。

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