津和野城003 建造物作り

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津和野城の縄張りは絵図を参考に作りました。本丸の建物や櫓、
さらに一段下の天守台には三層の天守があったそうですが焼失
してしまったようで、仔細な資料は無いとありました。

天守をどうしょうかと思ったのですが、三層の天守を作ること
にしました。 時代背景から考え高知城の天守を三層に改造して
取り付けてみました。

米子城005 山頂に2つの天守閣を持つ水軍の施設のある城

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■米子城
通称 久米城、湊山金城
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 不明4重(1596年)
独立式望楼型4重5階(1601年)
ともに非現存。
詳細は同項の構造を参照
築城主 山名氏か?
築城年 文明2年(1470年)頃
主な改修者 吉川広家、中村一忠
主な城主 山名氏、尼子氏、吉川氏
中村氏、加藤氏、池田氏
廃城年 1871年
遺構 石垣
指定文化財 国の史跡

米子城には、戦国時代の飯山(いいのやま:国道9号線南側)に営まれた砦と、湊山(みなとやま:国道9号北側)を中心に営まれた近世城郭がある。江戸時代初期には伯耆国一国を支配した中村氏による米子藩の藩庁となり、その後鳥取藩の支城となった。

戦国期には飯山の頂上に、南北約85メートル、東西約35メートルの郭を構え、東と北に野面積みで高さ2メートル前後の石垣を各2段設けていた。門が3か所あり、現在は削平されているが、南が1段高く、建物の痕跡があったという。

江戸期には湊山に新たに築かれ、山頂の本丸、北側の中腹に二ノ丸、その下に三ノ丸を置き、戦国期に米子城の主郭であった飯山は出丸として利用された。四重天守(大天守)と四重櫓(小天守)、30棟の櫓と20棟の門が建てられ、城域の周囲に廻した堀には海水をひき入れていた。平成18年(2006年)1月26日、国の史跡に指定された。

フリー百科事典より

米子城004 山頂に2つの天守閣を持つ水軍の施設のある城

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3つの城を同時に作っていると中々更新できないので
ついまとめての更新となっています。

米子城はとりあえずここまで出来ました。
あとは櫓と門と塀を作れば完成となるのですが・・・
それが中々出来ないんです(笑)

津和野城001 土台作り

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米子城の製作の合間に津和野城の土台を作ります。

津和野城は100名城のひとつですが石垣に特徴があり
フジミのお城のキットに入っている情景用の土台を使うと
あまり場所を取らない大きさで土台が作れるので、今回
津和野城の土台として使い、石垣を作りました。

津和野城の絵図にあった縄張りを参考に作ってみました。

米子城003 山頂に2つの天守閣を持つ水軍の施設のある城

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土台を紙粘土で作りました。本丸の敷地は本当は
もう少し広いのですが、作れる範囲内での製作です。

山頂に大天守閣と小天守閣が並びました。

これから完全に乾燥するまで・・・・・このままです。

その合間に何か作ろうかな?とCGの本で面白そうな城探しです。

米子城002 山頂に2つの天守閣を持つ水軍の施設のある城

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大天守閣の組立てが一段落したのでそのまま小天守閣を
組み始めました。 小天守閣は一層目が五角形の形になので
五角形として作りました。 やはり市販キットは岐阜城を
メインにして作りました。

米子城を作るのに岐阜城を2つと大阪城、江戸城、彦根城、
さらに土台としてフジミの熊本城の土台を使っています。

先に天守閣を全て組み上げているのは、オリジナルで
作っている関係でちょうど合う石垣のキットが無いために
土台から先に作ると紙粘土で作る石垣の土台と天守閣の
大きさが合わなくなるので、先に天守閣を作ってしまい、
それに合う大きさで土台を作る時に石垣を作っていきます。

塗装もしないでそのまま市販キットを切り刻みながらの
取り付けなので組みあがりは早いのですが、完成までは
まだ掛かりそうです。

狭い山頂に2つも天守閣が並ぶのは面白い景色です。

米子城001 山頂に2つの天守閣を持つ水軍の施設のある城

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山頂に2つの天守閣を持つ城として異色の米子城を作ります。

この城の屋根の形は少し複雑で市販キットを何度も眺めてみて
なかなか使える屋根がなく難しさを感じました。それでも
岐阜城と大阪城とをつなぎ合わせれば何とか形になりそうなので
製作を開始いたしました。

山頂と山麓に天守がある城はあるが、山頂にちゃんとした天守が
2つあるのは他にはないと思います。それも明治時代まで
2つの天守は存在していたようです。

100名城にはなってはいませんが・・・・魅力を感じます。

またここの堀には海水を引き入れてあり、水軍の基地にもなっている
不思議な魅力のある城です。

■概要(フリー百科事典より)
米子城には、戦国時代の飯山(いいのやま:国道9号線南側)に営まれた砦と、湊山(みなとやま:国道9号北側)を中心に営まれた近世城郭がある。江戸時代初期には伯耆国一国を支配した中村氏による米子藩の藩庁となり、その後鳥取藩の支城となった。

戦国期には飯山の頂上に、南北約85メートル、東西約35メートルの郭を構え、東と北に野面積みで高さ2メートル前後の石垣を各2段設けていた。門が3か所あり、現在は削平されているが、南が1段高く、建物の痕跡があったという。

江戸期には湊山に新たに築かれ、山頂の本丸、北側の中腹に二ノ丸、その下に三ノ丸を置き、戦国期に米子城の主郭であった飯山は出丸として利用された。四重天守(大天守)と四重櫓(小天守)、30棟の櫓と20棟の門が建てられ、城域の周囲に廻した堀には海水をひき入れていた。平成18年(2006年)1月26日、国の史跡に指定された

松江城を作る 003 完成

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大阪城のキットの天守石垣部分を全て撤去し、フラットにした土台を使うことにしました。
松江城の本丸はフラットの土台で天守が独立している。今回は土台に使った紙粘土でそのまま天守の石垣作りをした。天守入口の付櫓の入口の門の高さを基準に石垣の高さを決めたので、松江城の天守とのバランスはまあまあ上手くできた。 最後に石垣を削り、塗装を全体に行って一応、完成できた。

あとは気分でカラーパウダーを使うかどうかぐらいです。

結構、大阪城のキットは改造には使えるので良く利用してます。

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