カテゴリー: ★彦根城・佐和山・長浜城・小谷城
2つの彦根城、1つは随分前から作っている彦根城で、もう1つは今日から始めた彦根城となります。
彦根城450 003
彦根城450 002
彦根城450の製作を開始しました。まずは土台から
彦根城450 001
彦根城を作る予定ですが、どの角度から作ろうか?考えている。
1 天守を中心に全体の縄張りを作る。
2 天守の位置を少しズラして天秤櫓と表御殿を中心に作る。
3 天秤櫓は入れるが、玄宮園から天守を望む位置を中心に作る。
どれが良いだろうか?
彦根城 秋仕様から春仕様に変更
お城EXPOでは秋仕様の彦根城を展示してましたが、春仕様にリメイクしてみました。
彦根城 001天守閣
2012年にジオラマの彦根城を製作して以来のジオラマ作製用の
彦根城天守閣を作ってみました。
もちろん小さい方です(笑)
浅井小谷城 リメイク2
2011年1月18日にリメイクした浅井小谷城を再びリメイクいたしました。
リメイク前
リメイク後
ご覧頂くと、判ると思いますが何が変わったかと言うと
単に土台を付けて植樹が増えただけなんです。
しかしこれだけで見栄えが変わってしまいます。
山が深く感じるし、これだけでジオラマになるのです。
土台が付くか付かないかでこれだけ雰囲気が変わります。
特選作品 小谷城攻防戦008完成
1573年(天正元年)8月8日、山本山城の守将である阿閉貞征が羽柴秀吉(7月ころに名字を木下から羽柴に改める)の調略に乗って織田方に寝返った。この城が手に入ったことで織田方は小谷城の包囲が可能になり、信長はその日の夜半に岐阜城を進発し、10日には越前から小谷城への北国街道のルートを封鎖することに成功した。このため援軍に赴いた朝倉義景の軍勢(2万といわれる)は小谷城に入ることができず、余呉や木ノ本などに布陣した。この混乱の中で焼尾の砦を守る浅見対馬守が降伏した。焼尾は小谷城と峰続きである大嶽の砦の北麓にあるため、信長は小谷城攻略の意思をさらに固めた。
8月12日、畿内一帯に嵐が襲来した(京都などでも被害の記録がある)。この嵐を好機と見て信長はこの日自ら浅見対馬守の手引きで大嶽を攻撃、落城させることに成功した。さらに翌日には形勢不利と見た朝倉軍が撤退するところを一気に強襲し、朝倉軍に壊滅的な打撃を与えた(刀根坂の戦い)。信長は嫡男・織田信忠の手勢などを押さえに残して越前に攻め込んで朝倉氏を滅亡させたのち、8月26日には虎御前山に帰陣した。翌8月27日、羽柴秀吉の軍勢が清水谷の急傾斜から小谷城京極丸を急襲して陥落させ、本丸を守る長政と小丸を守る長政の父・久政を分断させることに成功した。さらにその日のうちに小丸を落城させ、久政は自害した。さらに次の日には本丸も落ち、長政は本丸の袖曲輪にある赤尾屋敷で自刃し、ここに浅井氏は滅亡した。
特選作品 小谷城攻防戦007建物群取付
小谷城の本丸、小丸、京極丸などに御殿や高矢倉、建物などを取付ました。