蒲生~上杉期 鶴ケ城・会津若松城 003 完成

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蒲生~上杉期 鶴ヶ城・会津若松城の完成です。現在の復興5層天守と比較しても
やはり7層天守はひとまわり大きく感じます。

伊達政宗が1589年(天正17年)に居城としたが、翌年秀吉の命により、政宗は
米沢に移り、替わって蒲生氏郷が入場。城の大改修を行い、7層の天守を
建てたとされています。その後に上杉景勝が入城となる。関ヶ原の合戦と
時代が流れていきます。 今回はこの7層の天守をCG図を参考に作って
みました。豊臣時代の豊臣のお城の特徴である「金と黒の城」の会津若松城。
奥州に睨みを利かせる豊臣の重要拠点のお城でした。

戊辰戦争に見る会津若松城の古写真は既に5層の天守になっており、
現在の復興天守は5層となっている。

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