蒲生~上杉期 鶴ヶ城・会津若松城の完成です。現在の復興5層天守と比較しても
やはり7層天守はひとまわり大きく感じます。
伊達政宗が1589年(天正17年)に居城としたが、翌年秀吉の命により、政宗は
米沢に移り、替わって蒲生氏郷が入場。城の大改修を行い、7層の天守を
建てたとされています。その後に上杉景勝が入城となる。関ヶ原の合戦と
時代が流れていきます。 今回はこの7層の天守をCG図を参考に作って
みました。豊臣時代の豊臣のお城の特徴である「金と黒の城」の会津若松城。
奥州に睨みを利かせる豊臣の重要拠点のお城でした。
戊辰戦争に見る会津若松城の古写真は既に5層の天守になっており、
現在の復興天守は5層となっている。
== 復元城郭模型で見る日本の名城 ==
ランキング参加中。応援ポチ宜しくお願いします。
https://history.blogmura.com/his_sengoku/ にほんブログ村