飛騨高山城 001  土台の作成

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お城の改造を続けていると余るパーツが出てくる。
和歌山城の土台と松山城の土台が余っていた。

何かに使えないものかと昨日、ネットサーフィンを
しながら眺めていると・・・「これは使える」と
思った城と遭遇した。

●高山城(たかやまじょう)は岐阜県高山市にある戦国時代から徳川時代前期の城である。
■構造
標高686.6メートルの城山(臥牛山、巴山ともいう)に築城された平山城で、曲輪、堀、石垣、土塁などの遺構が残る。望楼型2重3階の非実戦的な天守を持つ御殿風の古い城郭形式は、織田信長が築城した安土城の影響を受けたものと見られている。

■室町時代、文安年間
飛騨守護・京極家の被官、多賀出雲守徳言が天神山城(多賀山城)を築城。
永世年間
高山外記が山頂部に天神山城を築城。付近を高山と呼ぶようになったというが異説もある。
■戦国時代
三木自綱が高山へ進出、飛騨を平定、松倉城を築城した。富山の佐々成政と同盟し、豊臣秀吉に対抗したことから、1585年(天正13年)豊臣秀吉の命を受けた越前大野城主金森長近が三木氏を攻め、飛騨を制圧し、飛騨3万3千石の領主となる。当初、長近は鍋山城を居城としたが、1588年(天正16年)長近は天神山城跡を利用して高山城を築城。1600年(慶長5年)までに本丸・二の丸を完成させ、その3年後までには三の丸が整備された。築城と同時に城下町の整備も進められ、高台に家臣屋敷を建設し、下段の三町を町人の町とし、そして京都に倣って東山に寺院を集めた。
■1692年(元禄5年)
金森氏の出羽国上ノ山への国替えにより、高山城は金沢前田家が預った。
■1695年(元禄8年)
天領となったため、幕命により高山城は前田家により破却される。
現在は、岐阜県高山市空町城山公園。城跡は県指定史跡。 高山市天性寺町62  法華寺本堂(県重文)は高山城の一郭を移築したものといわれている。

上記フリー百科事典より転記

この高山城の画像が和歌山城の土台を少し改造しただけで作れそうだったので
高山城を作ることにした。和歌山城の裏手が似ているので写真に合わせて裏手の
石垣の部分を切り落とし、さらに和歌山城の入口の門と階段部分を撤去した。

切り取った部分に発泡スチロールを取り付けて山城の頂上付近の部分を作成。

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