若狭武田氏の居城 後瀬山城 002

若狭武田の後瀬山城のイメージを420×420mmのスペースの中に嵌めてみました。山麓の館と詰め城の山頂はバランスを見ながら入れてます。正確な高等線を引けば多分、全然低く位置が違うと思うが、山麓の館を作る時点で詰め城の山に使えるスペースは幅420×奥行250mmしかない。高さはこれで約130mm    仮に建物から割出した計算で高さを割出したとして、その数値が200~250mmになったとしても、コレ以上高くすると単なる崖となり、または傾斜を取るにしても奥行のスペースは250mmしか無いので、出来ないとなる。高さが低いとか良く言われる事もあるのですが、バランスを崩してまで合わせる必要はないと思ってます。

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若狭武田氏の居城 後瀬山城 001

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若狭武田氏の居城
後瀬山城の製作の為のイメージ作り
余湖くんの縄張り図を参考にレイアウトを検討してます。

ジオラマを作るにあたり、制約があるのですが
特徴を捉えながらも限りあるスペース内に収める。
また市販のキットの部品を流用する為に建物の大きさは
先にある程度決まってしまう。 この制約の中で考えると
地形図をそのまま作れないということになる。
 それはスペースの問題があり、山頂部だけとか、山麓
だけと言うのではつまらない。ここの城は山麓の館の
詰めの城だけに山麓の館は外せない、かと言って山頂の
郭はやはり作りたい・・・・それをどうディフォルメするか?
博物館に飾るもののように大きさや予算をふんだんに使える
訳でもない。博物館もふんだんには使ってはいないが
予算が全然違う。 写実的な模型ではなく、似顔絵とでも
言うか、その城の個性がはっきり出せて「こんな感じだ」と
イメージできるジオラマを作ってみる予定です。

大谷吉継の城 敦賀城 復元城郭ジオラマ模型001

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越前敦賀城は大谷吉継の城ですが、
関が原の合戦後の一国一城令により廃城となり、
その後奉行所を作る際に整地されて城跡が残って
いない城になってます。 城門がお寺に移築されている
ようですが、お城の縄張りや資料はかなり乏しいのか
なかなか画像が見つかりませんでした。

でも1日掛けてネットで見つけ出しました。

旧国鉄の敦賀駅舎に飾られていたと紹介のある
敦賀城の模型の画像を見つけ出して縄張りと
建物の配置がわかりましたので、作ることにしました。

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北ノ庄城を作る 005完成

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柴田勝家の北ノ庄城を作ってみました。
石垣のすぐ上の忍び返しのような屋根も作ってみました。

これは福井県福井市にある北ノ庄城跡にある復元想像図を
基に復元してみました。 城郭模型の楽しみは今は無い城を
このような形で再現できることです。

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