#江戸城 #大奥 リニューアル
270本のサクラの木を18本に減らしました。木の幹も判りますし、埋もれてた御殿の池や長局の井戸なども見えるようになりました。
#お城のジオラマ鍬匠甲冑屋
270本の状態
全部無くしました。
新しいサクラを植え替えていきます。
こんなお城が欲しかった。日本全国約5000城の製作が可能です。
#江戸城 #大奥 リニューアル
270本のサクラの木を18本に減らしました。木の幹も判りますし、埋もれてた御殿の池や長局の井戸なども見えるようになりました。
#お城のジオラマ鍬匠甲冑屋
270本の状態
全部無くしました。
新しいサクラを植え替えていきます。
完成はしている江戸城ですが、さらに良い感じにしようと
思い、先日鉄道模型の店で見つけた「水の表現の素」を使い
堀の水を改良することにしました。
24時間で固まるとのことで、固まると良い感じになるのでは
と思います。
■2010・12・29完成
★江戸城
通称 千代田城
城郭構造 輪郭式平山城
天守構造 連立式層塔型5重5階地下1階[出典 1](1606年築)
独立式層塔型5重5階地下1階(1621年再)
独立式層塔型5重5階地下1階(1635年再)
(いずれも非現存)
築城主 太田道灌
築城年 1457年(長禄元年)
主な改修者 徳川家康、秀忠、家光(江戸期)
宮内省・宮内庁(明治以降)
主な城主 太田氏、後北条氏(戦国期)
徳川将軍家(江戸期)
天皇家(明治以降)
遺構 現存櫓・門、石垣・土塁・堀
指定文化財 国の重要文化財(桜田門、田安門
清水門)
再建造物 富士見櫓、伏見櫓・多聞櫓
桜田巽櫓、和田倉門
位置 北緯35度41分17.97秒
東経139度45分15.72秒
■2010・12・29
サクラ5色を一気に取り付けました。総本数224本。
最初は200本も作ると多すぎるかな?と思っていたが
いざ取付けるとこれでも少ない感じもする。それだけ
お城が大きかったかも知れない。
堀の水も散ったサクラの花で色ついた感じで塗装をしてみました。
最終点検をした結果、中ノ門にある大番所と紅葉山東照宮の壁、
二の丸の白壁の3ケ所が無かったので、これからの取り付けに
なりますが、一応完成といたしました。
■2010・12・28
江戸城の建物の取付けが完了しました。
正確に言えばあと城塀を3つぐらい付けるのが
残ってはいるが、建物の取り付けは完了です。
■2010・12・26
残り2櫓、3門、百人番所を含む建物5棟、
二の丸の多聞の取り付けが終りました。
あとは部品取りの市販キットの入荷を待って
本丸北側の多聞群と若干の建物・仕切り門、
井戸等をつければ江戸城大奥の建物組立が
完了します。なんとか年内には終るかな?
サクラが大変だけに・・・・完成が待ち遠しいです。
■2010・12・25
現在、下草を敷き詰めた。
建物はあと櫓を2つ、門を3つ、建物を約5つと東照宮2つ、
更に多聞を4ケ所ぐらいを取り付ければ、建物の組立・取付けが
終る予定のところまできた。
櫓は既に18櫓ほど取り付けてある。(うち三重櫓は4つ)
城門も11門ほど出来ている。
多聞や建物、御殿は数えてはいないが、かなり出来た。
残り櫓を2つ、門を3つ、建物を約5つと東照宮2つ、
更に多聞を4ケ所だけなのだが、それだけでも姫路城2つ、
江戸城2つ、高知城3つぐらいの市販キットは必要に
なりそうです。今までどのくらいの市販キットを使ったか
判らないが、原価はかなり掛かったと思う。
建物の取り付けが全て終れば、サクラの製作が始まる。
全面を埋め尽くすぐらいサクラは作るつもりなので、
製作はまだまだ続きそうです。
■2010・12・23
これも未公開画像だったのですが、この時の製作が一番のピーク時期でした。
作り終わると深夜になっていることも多く画像紹介をする気力もありませんでした。
本丸を廻る二重の多聞群、部品も無くなるし、とにかく今まで作ったお城の中で
こんなに長く多聞を作り続けたこともありませんでした。まさに圧巻の多聞群。
その中で櫓の位置の微調整や城門の修正なども併せて行いました。
本丸天守の後ろ側にある北詰門の石垣を削り直したりしました。
■2010・12・23
クリスマスも近いこの時期に家に閉じこもって作っていました。
これも未公開画像でした。製作は2010・12・23となります。
本丸を中心に二の丸、三の丸の一部に城塀を付けています。
また二の丸の能舞台の堀の上に出っ張る為の柱の取り付けや
本丸御殿内の仕切りの門なども併せて作りました。
■2010/12/21
この画像は未公開画像だったのですが、引越し作業に伴い公開いたしました。
製作は2010・12・21となります。 本丸富士見櫓下の多聞群のところに追加で
上埋門と下埋門を作りました。これは色々な資料を見て行く中で良く判らなかった
部分なのですが、間違えなく埋め門があったとされているので、正確なものとは
異なるかも知れないのですが、埋め門を作りました。
石垣部分を削り、多聞の下に門を作りました。