近江目賀田城(滋賀県愛知郡愛荘町)A4 20200117~0225

20200225

滋賀県愛知郡にあった目加田城の完成。

20200224

滋賀県愛知郡にあった目加田城。平城で土塁に囲まれた館。城と言うと城下町や櫓や天守のイメージがあるが、六角氏の家臣の城で、全てに櫓が有る訳でも無く、今大河ドラマの明智光秀の屋敷をイメージして貰っても、周りは水田であったり畑だったり、まして城下町がある訳でも無い。どちらかと言うとこんな感じの館(城)が多かったと思う。水田と堀だけの城。色はほぼ水色だらけにはなるが、個性的かもしれません😊

20200210

近江目加田城は先月から縄張りが終わってたのですが、堀に水貼りをするのに一緒に出来る城が無くて、本日の会津若松城待ちになってました。‬

20200118

近江4城(目賀田、敏満寺、多喜山、佐生城)の地面の着色が終わりました♪  しばし乾燥させます。‬




20200117

近江目賀田城の縄張りも終わりました。‬

‪これで近江4城の縄張り整形と下塗りが終わり本日午後の部が終わりました。‬

‪タイトルに202001怒涛の城作りとしてますので、これから引き続き本日の夜の部に入ります😊 さて何を作ろうかなぁ?‬



20200117

近江目賀田城(滋賀県愛知郡愛荘町)の縄張りです♪‬



近江多喜山城(滋賀県栗東市)A4  20200116から0126

20200126

六角氏に対する近江の織田の陣城。‬

‪多喜山城の完成です。‬
‪近江多喜山城 #織田信長 ‬








20200117

近江多喜山城も縄張りの整形が終わりました。‬




20200116

近江多喜山城(滋賀県栗東市)の縄張り‬




近江の佐生城(滋賀県東近江市) 20200116から0123

20200123

近江佐生城完成。‬

‪#佐生城 #近江戦国歴史浪漫‬









20200123

天守の無いお城が続いているが、お気づきだろうか? 戦国期の支城には殆ど天守など無かったと思っている。城主、城代の屋敷にせいぜい櫓が少しあるぐらいで、家臣の建物は沢山あったと思う。それは城下町とかが形成される様になると少し変わるが、それまでは城に付随していたはず。佐生城のイメージ。‬




20200122

六角氏の観音山城の支城 佐生城。‬

‪トーチカ的なお城ではあるが、縦堀なども少なく戦闘的だったとは言い切れない。建物を配置してみた。こんな感じかなぁ♪‬



20200117

近江佐生城の縄張りの整形が終わりました。



20200116

近江の佐生城(滋賀県東近江市)の縄張りです。まだ途中ですが♪‬


近江敏満寺城(名神高速道路多賀SAにあったお城) 20200116から0122

20200122

名神高速道路多賀SAの場所にあった敏満寺城。 お寺の城塞化として製作。宿坊や信者の立て篭もる建物を増やして、城壁は木柵に逆さ木を配しての防御としました。荒廃感を出す為に木々は全く植えずに土の土塁だけの状態にして、ハリネズミの様なお城として推定復元してます。 #敏満寺城 #多賀SA ‬








20200122

敏満寺城の建物はほぼ取付完了。‬

‪後は城壁かなぁ、意外と小さい割には目立つお城になってきた♪‬



20200121

名神高速道路多賀SAの敏満寺城であるが、縄張りはこれなのですが、さてとどう作るか?である。名前の通りでお寺の城塞化した城なんです。浅井と戦って殆ど建物は焼失、更に信長とも戦って壊滅。石材なども彦根城築城に使われて何も残って無いとの事。 セオリーとしてはお寺の城塞化かなぁ♪‬

これが私の敏満寺城のイメージ♪
お寺の城塞化。信者の建物が周りを固める感じで防御にしている。 他のお城とまた違う色使いで目立つ様にしてみました。あくまでもイメージですが、そんなには違わないんじゃ無いかなぁ?と思います。




20200117

近江敏満寺城(名神高速道路多賀SA)の縄張りの整形が終わりました。‬



20200116

さあ!2020怒涛の製作を始めますか♪(笑) 目標1月中に何城作れるか?‬

‪★ 名神高速多賀SAのレストラン東側(ガソリンスタンド方面)に小公園があり、そこが城跡であったのはご存じだろうか?敏満寺城(多賀SA内)。
その敏満寺城を始め、多喜山城、佐生城、目加田城、小堤城山城、田中城、安土城×2、名古屋城、岡山城、土佐朝倉城、岡山城、会津若松城、信長、秀吉軍、武家屋敷、それに現在作っている中世ヨーロッパの古城とそれの騎士軍、南雲機動部隊などなど♪‬

どう作るか悩むより、手を動かすことが先なんで、製作開始です😊


こちらは写真を撮るのが後になってしまいましたが、近江の敏満寺城(滋賀県犬山郡多賀町 名神高速道路多賀SA)の縄張りです♪‬

大津城B4サイズ 20191210~1219

20191219

大津城B4サイズ完成。‬

‪#大津城 #模型 #ジオラマ ‬

20191211

1日3城の石垣を彫り、縄張りの下塗りをしてました。やっぱり3城1日はちょっと大変でした♪  大津城も完成。‬

20191210

滋賀県大津市にある3城の同時製作‬

‪サイズは全てB4サイズ。‬
‪膳所城 大津城 瀬田城となります。‬
‪全て湖城となります。‬

‪#膳所城 #大津城 #瀬田城 #近江戦国歴史浪漫 #琵琶湖 ‬

近江瀬田城B4サイズ 20191210~1223

20191223
瀬田城完成。半分を湖にしてみました。何処から見ても楽しめます♪‬

角度を変えて撮影

20191223
このシーンが撮影したかった。
湖水に映る瀬田城天守と唐橋。
唐橋をどう作ろか?余りイメージが湧かなかったので
暫く放置していたが、単純に橋を架けようと思った(笑)

20191211

瀬田城の下塗り‬

20191210

瀬田城(勢多城)天守を製作中‬

‪瀬田の唐橋の近くにあったお城です。‬

‪#瀬田城 #近江戦国歴史浪漫 #瀬田の唐橋 ‬

膳所城B4サイズ 20191208~1220

20191220

膳所城B4サイズ‬

‪一気に完成♪‬
‪#膳所城 ‬

20191211

膳所城の下塗り完了。‬

滋賀県大津市にある3城の同時製作‬

‪サイズは全てB4サイズ。‬
‪膳所城 大津城 瀬田城となります。‬
‪全て湖城となります。‬

‪#膳所城 #大津城 #瀬田城 #近江戦国歴史浪漫 #琵琶湖 ‬

20191208

膳所城天守製作中‬

今回は童友社大阪城、高知城、フジミ浅草寺、江戸城の部品で組み立ててみました。

膳所城を作る。膳所城は国立公文書館の築城当時の絵図と地震後の縄張りの絵図(滋賀県立図書館)がある。滋賀県に飾る事を考えると地震後の縄張りが良さそうだが、あえて築城当時のにする予定です。理由は簡単でB4サイズでは地震後の縄張りで作ると殆ど空き地になってしまう。二の丸までが入らないので♪‬本丸と多分北の丸ぐらいしかスペース的に入らないので地震後の縄張りで作るとど真ん中が公園化してしまう。

それであれば築城当時の縄張りにすれば二の丸までが入るので建物の数が増えるのと、本来の膳所の縄張りはこうだったと教えられる。

大津城の戦いB5サイズ 20191204~1208

20191208

関ヶ原の戦い前哨戦 大津城の戦い。‬

‪西軍九州の猛将立花宗茂軍などを足止めた。これにより関ヶ原には間に合わなかった。サイズは8切り(A5ぐらい)のミニサイズです。兵士は稼働タイプなので大津城だけでも飾れます。‬

‪#大津城 #関ヶ原の戦い #立花宗茂 ‬

20191205

仕事とはいえ、実にマニアックなモノを持っているでしょう

戦国時代の大砲のフィギュアです。コレをお城に向ければ、正に合戦になります。丁度関ヶ原の前哨戦の大津城の戦いにピッタリのアイテムです。この大砲のキットは外国製ですが良く出来てると思う♪‬

‪#大津城 #合戦ジオラマ #鍬匠甲冑屋 ‬

大津城天守の組み立て

20191204

騎馬よりも小さい天守。 それでも角度を変えれば、広大なお城の天守となり、城攻めの合戦模様となる。B5サイズに1/72の兵士と同じサイズの建物はスペース的には入らない。でも遠近法の感覚で見れば雰囲気は伝わる。上から見れば変んだが子供目線で見れば形になる。子供目線は大切です。下から見よう!‬

近江草津の青地城A4サイズ完成 20191130

20191130

近江草津の青地城A4サイズ完成。‬

‪ 実はこのお城が一番難しかった。‬

‪草津にあった平城(館の様な)で縄張り図はあるものの、敷地の範囲から考えると天守とか櫓が無いと推測出来、かつ山の険しさとか、建物が沢山有るとかそんな雰囲気は無い。特徴は前面の池なので池を作ると然程スペースも無く難しかった‬

滋賀県守山市にあった浮気城 推定復元ジオラマ 20191119~1123

20191123

滋賀県守山市にあった浮気(ふけ)城を勝手に推定復元しました。資料は現在住吉神社の周りに土塁がある事だけ、またこの地が浮気(浮き場所)とされ、湿地帯か河川の近くと予測されることから製作。住吉神社は城外にあったのを、主殿などが無くなった主曲輪に移設したと判断してみました。#浮き城 #浮気城 ‬

20191119
滋賀県守山市にあった浮気城 推定復元してみます。守山の火祭りで有名な住吉神社周辺に土塁があり、そこが浮気城なんですが、土塁しか判らない。そこで普通に考えれば土塁には堀とのセットが妥当だし、近くに川があるなら防御の川として使うことなどを考えるとこんな縄張りになりました。浮く場所の城(浮気ふけ城)   戦国時代や室町時代の神社は現在の宅地開発された場所から比べれば遥かに広いと思います。お城が先なのか?神社が先なのか?もしくはお城の中に神社があったのか?それは分かりませんが、今の住吉神社の広さよりは広いと考え、それで近くに川が有れば私が殿様だったら川は絶対に防御線にはしたいと思う。

学者さんでは無いので勝手な推測ですが、当たらずとも遠からずでは無いけどこんな感じだろうと自己推測での推定復元となります。