この金沢城を作っていて、面白く感じた点は「十字で異なる城」の雰囲気を
感じる点です。「十字に異なる」とは搦め手門としての三の丸石川門から二の丸
・五十間長屋・菱櫓を望む方角の線と大手門から三の丸河北門を抜けて本丸へと
望む方角の線の2つの線で見ると、全く異なる感じを受ける城だからである。
現在の金沢城のイメージとしては石川門から五十間長屋・菱櫓を望むラインが
メインとなる。これは現在だけではなく、江戸時代もそうだったような気さえする。
五十間長屋の後ろには二の丸の御殿が続き、金沢城のメインの建物であった。
それに比べ、何度も火災で焼失した本丸は天守も無く、御殿も焼失したことから、
主要建物を二の丸で使ったことから、あまり使われない本丸になっているようだ。
また大手筋にあたる大手門も三の丸河北門も櫓門はあるものの、隅櫓や多聞は無く
城壁に囲まれている程度で、石川門から比べると堅固差は落ちると思われる。
まるで昔は大手門~河北門~本丸のラインを重要視していたが、徳川の時代となり、
金沢城も時代と共に変わっていき石川門~五十間長屋・菱櫓~二の丸へのラインに
変わっていったような気もしてしまう。
この河北門を組みながら、その構造を見てふとそんなことを感じた。