今回は浅草寺の画像がありませんが、浅草・駒形の隅田川のサクラです。
浅草寺は江戸城の出城的な役割と、隅田川自体は総構えの川となる。
浅草には浅草御門まであった。浅草吉原の吉原大門とは別です。
こんなお城が欲しかった。日本全国約5000城の製作が可能です。
今回は浅草寺の画像がありませんが、浅草・駒形の隅田川のサクラです。
浅草寺は江戸城の出城的な役割と、隅田川自体は総構えの川となる。
浅草には浅草御門まであった。浅草吉原の吉原大門とは別です。
上野の山には寛永寺があり、江戸城の出城的な意味がある。
江戸城を囲むように増上寺(芝)・寛永寺(上野)・浅草寺(浅草)などが
あり、軍事拠点にもなっていた。 さらに江戸城の鬼門・裏鬼門などの
風水による江戸の防御体制をとっていた。
上野寛永寺は京都比叡山延暦寺に位置づけをし、琵琶湖の位置づけとしての
不忍池がある。琵琶湖の竹島の代わりが不忍池の弁天島となる。
京都御所の鬼門を比叡山延暦寺によって封じ込めたのと同じに、江戸城では
上野寛永寺をその役目としていると言われる。
今はお花見の名所であるが・・・
江戸城の呉服橋御門より少し下流にかかる日本橋。
道路交通の基点となる。
ここには昔、日本橋魚河岸があり、現在も弁天様が飾られている。
大手門(内堀)から城の外に出たのだが、実際にはこの場所はまだ城内で
三の丸の位置となる。さらにその先の和田倉門を出ても西の丸下曲輪で、
現在の東京駅の場所も八重洲河岸として堀の跡となる、日本橋・八丁堀・
京橋・銀座付近も堀があり、現在の首都高環状線も堀跡に出来ている。
外堀、さらに総構えとなると山手線一周ぐらいの広さが城内となる。
浅草・上野辺りから品川・高輪まで、更に新宿手前までが総構えの範囲となる。
千住・板橋・新宿・品川が江戸から外れた一番最初の宿場町となる。
二の丸庭園から百人番所・大番所を抜けて大手門へと向かう。
大手門と平河門と北桔橋門から皇居(江戸城)東御苑の入場が
可能となっている。今回は北桔橋門から本丸・二の丸を経由して
大手門から出てくるコースをとった。
本丸跡から二の丸跡へ
本丸北桔橋御門から本丸へと入ってくる。
北の丸田安御門から北の丸武道館を通り、本丸乾御門へ向かう。
本丸北桔橋御門より本丸へと登城する。
半蔵門から北門を通過し千鳥が淵を経由して九段の靖国神社まで
ここから北の丸へ抜ける予定です。
四谷見附御門(外堀)から城内へと入り、番町を抜けて
一番町の英国大使館付近へと向かう。
半蔵門(内堀)から桜田御門へと通じる内堀の景色を見て、
今度は半蔵門から千鳥が淵方面へと内堀の脇を歩く。