豊臣姫路城を作る 010 完成  

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まずは一番下の画像は現存の姫路城と豊臣期姫路城を同じ角度から撮影してみました。
今の姫路城が城郭完成期の城となり、豊臣姫路城は戦国期の城となります。時間で
言えば大よそ30~40年ぐらいの差でしょうか?(正確には計算してません)

復元城郭模型はこんな時代変化を楽しめます。ただ城も時間と共に変化していき、
時代によっては天守が無くなっていたり櫓や御殿がまだ建てられていなかったり
します。CGなどの復元図や想像図を参考にしながら作っておりますが、
博物館にあるような完全なるジオラマと違い、歴史監修はしてませんので、
若干違うところもあるかと思います。

まあ、こんな感じ程度の軽い気持ちでご覧頂ければ幸いです。

なんとか100名城を目指して復元してみたいと思っておりますので
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豊臣姫路城を作る 009  本丸周辺・木柵作り

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世界遺産の姫路城とは違う、ひとつ前の豊臣時代の姫路城はまるで
白鳥になる前の醜いアヒルの子のように、地味で黒い城でした。

安土城の革命的な城郭建築が出来る前にあった城は、まだ中世の
戦国期の城であり、基本的には播磨の黒田氏の城をそのまま
秀吉が譲り受けたもので、その後、改修は行っているが今の
姫路城と比べると全く違う城です。
  
板塀の城壁や木材・杭による木柵が中心で、天守は三層。
櫓も火の見櫓のような高櫓であり、小屋のような建物が点在
している程度。

今回は木柵を中心に作りました。網戸の網を利用して木柵を
表現しています。これでも張り廻るとそこそこの雰囲気が
出てきます。 天守のある本丸と三国堀と現在の二の丸付近の
山を作っています。

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江戸城を復元する  002 慶長年間の縄張りを参照に

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慶長8年(1613年?)だったと思うが慶長年間の江戸城の縄張り図を
参考に縄張りを作ってみました。日比谷入江を埋め立てて、ある程度
内堀の形が出来上がった頃です。まだ外堀までは完成してない時代、
結構複雑な縄張りですが・・・・また本丸と西の丸と吹上の真ん中
辺りに位置する紅葉山も小さいながら作ってみました。

ただこの時代は二の丸や三の丸には御殿がまだ建っていなかったようだし、
北の丸には蔵や武家屋敷があり、雰囲気も違っています。

家康から秀忠、家光と作り続けて江戸城のだいたいの概要が固まるまで
約40年、家康が江戸に入ってから約50年かかって作った城なので
幕末の江戸城ならは形は固定しているものの、天守は無くなっているし
・・・どこの時代にするかで結構雰囲気が変わるものです。

史実に忠実かと言うと若干の疑問もでてしまうのですが、あくまでも
雰囲気重視でやっています(^^;

江戸城を復元する  001 縄張り

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一番上の写真でコルクポート゜の端にあるのは江戸城DXのキットです。
比較頂けると大きさが判るかと思います。

二重橋・富士見櫓・大手門・平川門・北の丸・半蔵門・桜田門などを作りたいと
思い、コルクポード900×600mmのサイズで江戸城を復元しようと
思っています。

まずこのサイズになると実際に縄を張り、中心を出して参考にするパンフレットの
中心をセットして延長線で縄張りを書き写しします。ピッタリにはならないけど
雰囲気的には参考になり、バランスで土台の位置が決まります。
その上に発泡スチロールを貼り付けていき土台としてます。

城モデラーさんより関東支部長の任を受けましたが、関東の城って意外と
作りにくく、現在別に水戸城を作っているものの、他に何か作ろうか
考えていたのですが、やはりこれしかないと思い作り始めました。

◆次回配信の予告ですが・・画像は次配信時にご覧下さい。
皇居外苑のパンフレットを参考に基本的な縄張りをカットしていき、
接着剤が乾いた時点で徳川の江戸城の縄張りに変更していく。
特に吹上、西の丸、本丸の西の丸側の俗に言う皇居側の掘りの縄張りが
結構違うし、また二の丸・三の丸の中の掘りも現在のと少し違うようで
面白い・・・・良く知っている地元のお城なのに、意外と知らないところが
多く、やはり作ってみないと調べないものだと痛感した。

躑躅ヶ崎館を作る 001 土台作り

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上杉謙信の春日山城が完成した瞬間、好敵手の武田信玄の
躑躅ヶ崎のお城を急に作りたくなりまして、いつものように
コルクボードに発泡スチロールで作り始めたところ・・・・

意外とサイズが合わない。館を大きくした城だけにコルク
ボードのサイズでは少し大きくなりすぎるし、かと言って
本丸だけなら市販キットの適当に余っているどこかのお城の
土台を使えば事足りるのですが、せめて曲輪をふたつは欲しいと
思うと、キットの土台では小さすぎて、なんとなく作りにくい
サイズであった。 その時、目についたのが大阪城DXの
余っている土台を発見! このサイズならば作れると思い
製作を開始しました。

この大阪城DXの土台は、一度大阪城のDXを作ったものの、
そのまま豊臣大坂城に作り替えることとなり、完全に余った
出来上がってる土台だったのです。真ん中に大きな穴があるので
余っている名古屋城の土台を埋め込んで、躑躅ヶ崎の水掘りの
部分になる予定のところをカットして発泡スチロールを隙間に
詰め込み、最後に紙粘土で盛り土をしました。

春日山城を作る 004 春日山城 完成

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建物の組み立ては市販キットより江戸城小天守(実在かは判りません)を2つ利用。
伊予松山城の小天守以下櫓門・多聞など6つと天守最上段の屋根を利用し、
合計9つの建物を組み立て取り付けた。ちなみに城門は4つほど取り付けた。

まあ、岐阜城・小田原城×2・和歌山城の土台の山に松山城を取付けることで
春日山城を表現した。

高櫓はバルサ材にて自己製作でした。

春日山城を作る 003  謙信出陣・春日山城

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上杉謙信出陣図?

食玩の戦国合戦絵巻に入っていた上杉謙信をちょっと並べてみました。
春日山の土台は、昨夜塗りつけていた水性ペンキが乾いていたので
スポンジとカラーハウダーを貼り付けて土台部分の春日山を完成
させました。

これからは春日山城の建物を組み立て取付ける予定です。

春日山城を作る 002  春日山作り

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岐阜城や小田原城の土台を使い、組み上げた春日山のベースの
接着剤が固まっていたので、その上から紙粘土と発泡スチロールを
使い春日山のベースを更にいじりました、

一晩、紙粘土が固まるまで寝かせておいて、今日は茶色い水性ペンキで
下地色を塗りました。

岐阜城と並べて比較すると土台の高さは1.5倍ほどの高さになっていました。

2010.05.04三崎城跡付近

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三浦半島の先端にある城ヶ島と三崎漁港と油壷へ行ってきました。
三崎にある三崎城跡を見てみたいのと「マグロ」を食べると言う
2つの目的がありました。

★三崎城は後北条氏の支城のひとつで房総の里見氏と東京湾の制海権を
かけて戦っていたようです。三崎市役所の近くに「城山」と言う地名が
ありました。また城ヶ島は三崎城の海軍の船を三崎と城ヶ島に置いて
いたようです。お城の解説の詳しくは私は良く判らないので・・・
ひとつ目の目標はこれで達成として、続けてふたつ目の目標の「マグロ」を
軽く摘んできました。

少し帰りは渋滞に巻き込まれて、夕食は軽く外食にしてしまいました。
テーブルに乗り切れない程度の焼肉たちでした。